哲学の道の前半。琵琶湖疏水分線に沿うこの道は、西田幾多郎が思索しながら歩いたことからそう呼ばれるようになったというが、歩いていると、そんな名のことより先に、水の流れの細さや、道の脇の土の湿りが気になる。
雨の名残の水たまりには桜が映っていた。雨上がりだからこその景である。
枝の上の花と、地面の上の花と、どちらを見るともなく目が行った。
大豊神社にも寄った。少彦名命を祀り、のちに応神天皇や菅原道真も合祀された社で、このあたりでは古くから土地の神として続いてきたという。
鳥居をくぐると、椿がかなり落ちていた。椿で名高い神社だが、見ごろは過ぎている。
それでも大きな椿の木は、枝ぶりだけで十分に場所を支配していた。赤い花が砂利に散っている。
枝垂れ桜も盛りは過ぎていたが、境内の奥まった空気には、むしろそのくらいのほうが合っていた。
狛鼠の石像のまわりに椿の花が置かれていて、少しやりすぎではあるのだが、そういうことをしたくなる気持ちも分かる。





ピリオドの彼方に
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