長岡京の名刹・光明寺で、見ごろを迎えたもみじ参道を散歩。
山門へ向かう坂道に差し込む光が、すでに赤みを帯びていた。
長岡京の光明寺を訪れたのは、十一月、末。紅葉が最盛期を迎える頃である。
乙訓寺を出て、そのまま歩く。観光地としては決してアクセスが良いとは言えない道のりだが、だからこそ、目的地へ向かう気持ちが徐々に整っていく。
女人坂の石段を上り、表参道へ入る。両脇の木々はすでに色づき切り、赤というより、深く沈んだ朱に近い。
足を止めて見上げる人、黙ってカメラを構える人、それぞれの距離感で紅葉と向き合っている。
光明寺は、法然上人が最初に念仏の教えを広めた地とされる寺である。浄土宗の大本山という肩書きが示す通り、境内には「名所」としての風格がある。
寺の由緒については、光明寺 公式サイトやWikipedia(光明寺)に詳しい。
阿弥陀堂へ向かう境内は人で賑わっている。
それでも、不思議と落ち着かない感じはない。これもこの寺の紅葉のなせる技なのだろうか。
御影堂では、庭と建物、そして紅葉の距離感が印象に残った。
近づきすぎれば細部に目を奪われ、離れすぎれば全体がぼやける。その中間に、ちょうど視線が落ち着く位置がある。
本玄関付近には出店が並び、賑やかな声も聞こえる。
紅葉を眺めながら一息つくのも悪くないが、この日は人出に気圧され、通り過ぎることにした。
そして、もみじ参道へ。
参道の左右を埋め尽くす紅葉は、よく知られた光景のはずなのに、実際に立つと、やはり圧倒される。前を向いても、見上げても、足元に目を落としても、視界のどこかに赤がある。
さらに印象的なのは、ふと振り返ったときの景色だ。進む方向とは異なる表情が、一瞬だけ現れる。
人は多い。
それでも、ここに来てよかったと思えた。混雑を受け入れたうえで成立している風景がある。
紅葉の名所と呼ばれる場所には理由があり、それは写真や評判だけでは分からない。
京都には紅葉の名所が数多くある。だが、「王道」を王道としてきちんと味わうことは、案外難しい。
人が集まる場所を避ける選択もある一方で、人が集まり続ける理由を、あえて確かめに行く価値もあるのだろう。







ピリオドの彼方に
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